「泣くな」
宮沢賢治の童話集「注文の多い料理店」は、以下のような序文で始まる。「私たちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。(中略)わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。」 なんという美しい文章だろう。なんて尊い思想なんだろう。初めて読んだとき、そう思い涙が出たのを覚えている。
大分県の教員採用を巡る不正の報道を毎日のように目にする。氷山の一角だろうとは思ったがその後次々と明るみになった全国津々浦々の実態には流石に開いた口が塞がらない。教員や公務員の採用にまつわる噂を耳にした事が無い訳では無いが、子供たちの人格形成に少なからず影響を与えるであろう人間の人選を、福沢諭吉の描かれた紙と天秤に掛ける神経にはつくづく反吐が出る。
この国では今や、高級ブランドのバッグを提げた女子高生も、親に買い与えられた外国の車で通学する大学生も珍しいものでは無くなった。我々が大量に出す食べ残しは、世界中の飢えに苦しむ子供たちを何万人も救えるほどの量に上る。 もう充分ではないのか。戦後猛然と追い求めた豊かさと繁栄の恩恵は。手垢のついた言い回しだが、わき目も振らずに走り続けた我が国の人々は、その道の途中に何か忘れては来なかったか。そしてその代償を背負う事になるのは一体誰なのか。
子供たち、とはつまり未来そのものではないのか。その無垢な魂にたった一つでも良いから、「すきとおったほんとうのたべもの」を示すことができる人間こそ、「せんせい」と呼ばれる資格がある筈だ。
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